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代表取締役  椚座 信

SHIN   KUNUGIZA
 

NPO法人久高島振興会理事
株式会社エスライン代表取締役
楽園学会発起人
フリーペーパーRakueneeds編集長
「楽園学」発案・実践者
楽園創造家
 

1961年大阪生まれ。幼少期から「その場の状況で最大限楽しみ周りを楽しませること」に関心を持ち、そのまま行動できた笑顔溢れる幼稚園までの世界。
そんな周りの仲間から「笑顔」という自分にとっての大切な財産が消えてゆくことに不快を感じだした小学生時代。
この進む未来に疑問を持つものの、それと向き合う力量が自分には全くないことも漠然と、しかし、明らかに理解し、この課題と向き合うことよりも、とにかく、明るく楽しむことをとことん追求することに没頭する。楽しんで生きること、゛生きてる゛という実感を極めて行くこと。行動基準は常に自分がすこやかなのかどうなのか? それは、結果として常識的でないあらゆる社会での経験を積み重ねることにもつながってゆく。
また、父が内務省→GHQによる解体→建設省→大阪府企業局長と、最前で「国」というものに尽くした親の背中から学んだ姿勢「志」と、対して感じ続けた「疑問」。
 
17歳でサーフィンを始め、現在に至るまで世界各地に、良く言えば環境保全及び文化形成の視察のためフィールド調査へ。そのまま言えば、徹底的に、楽しいこと、明るいところ、軽やかな時間、すこやかな空間を求めた旅を積み重ねる。そして、素直に物事を見切ることの軸を持つ大切さに気づく。そこで、人間が創り上げた文化、常識にとらわれない「生命の情報」に基づいた思考・行動ができるようになろうと自然と対話し感覚を磨くため、世界でも限られた壮大な波が立ち、かつ、力強い原始の自然を残すジャワ島Gランドにて長期の滞在でサーフィンを通じた自己研鑽を各年2ヶ月、時に4ヵ月を約10年以上継続して行う。日本の海岸線のほぼ3/4  アメリカ東西海岸線の1/2 西・南西・南ヨーロッパの海岸線1/2を各走破。ハワイは21歳からコロナ寸前の58歳まで、ほぼ毎年の滞在。(最後の10年はカウアイ島中心)

 1989年29歳で、子どもの時からの大課題であった、「笑顔」を奪うものの正体と向き合うと決意し、本格的に「楽園作り構想」に没頭を始める。
時間をかけた模索から「原点海帰」という名称に収めた、水の惑星の生命にとっての楽園創造の根幹となるアプローチ方法に行きつく。
そして、この原点海帰を理論理屈ではなく身体知でわかる人を一人でも増やすために、海に入り一本の波に乗り体感する機会の創出。水の惑星の生きものであることを体感する人=海と遊び自然のうつろいを楽しむ人=サーファーを増やすこと。これを狙って、1999年波情報 「iモード波伝説」や後の「なみある?」の立ち上げプロデュースを手掛け30万人利用者を生み出す。

2002年株式会社エスライン設立 「体液の状態を意識する人を増やす」=「海の大切さを意識する」が生まれることを望んで、沖縄県「久高島」という海の民、いえ、「水の惑星の民が創り上げた理想郷=楽園」を囲む美しい海水で作る塩の製造販売の事業を島の方と立ち上げる。
 
かたや、私たち水の惑星の生命にとってすこやかな世界、楽園を創り出せるかどうかに大きな影響力を持つ「知」の世界。この科学技術はじめ様々な学問の世界が、ともすると学術研究という道が目的になっていたり、結果や評価、経済性が目的になっていたり、いつの間にか運営が目的になっていたりしている現状をどうできるかが、未来に大きく影響することに気がつく。
ならば、人が、特に学者・研究者・リーダーとなるような人々が1+1=2という決まりを学ぶより先に、先ず学びの原点に「人・命がすこやかになれる楽園を体験・体感でき知覚すること」が学問になっていること「楽園を学ぶ=楽園学」が生み出されることを思い付き、この「楽園学」を生み出すためのアプローチとしての楽園学会の発起などに奔走してきた。

楽園創造へのアプローチ方法「原点海帰」は、水の惑星の楽校づくりの軸にすべく、これまで企業研修や個人の方々との共同を繰り返し続け、原点海帰プログラムとして提供できるに至った。
 
自分では、自らの命を尊び愛でることが、ちゃんとこの世界に尽くすことになっていることを 「志」にしている。
 
生粋の楽園を必要とする人=Rakueneeds であり
マスターオブ「すこやかさ」 だと思っている

Gland

ジャワ島 G-landにて